「シネマネコ」から直線距離で半径3km以内の観光スポット・旅行・レジャーを探す/距離が近い順 (1~57施設)
①施設までの距離は直線距離となります。目安としてご活用ください。
②またボタンをクリックするとシネマネコから目的施設までの徒歩経路を検索できます。
-
周辺施設シネマネコから下記の施設まで直線距離で503m
昭和レトロ商品博物館
所在地: 〒198-0084 東京都青梅市住江町65
- アクセス:
JR青梅線「青梅駅」から「昭和レトロ商品博物館」まで 徒歩3分
- 投稿ユーザーからの口コミ
- 青梅駅から歩いて5分くらいのところにある、昭和レトロ商品博物館です。昔懐かしい昭和レトロな商品が展示してあります。昔よく見た看板などもあり、とても楽しめます。オススメです。
-
- 投稿ユーザーからの口コミ
- 東京都青梅市長渕にある「鹿島玉川神社」は、JR青梅線東青梅駅下車、徒歩25分、またはJR青梅線河辺駅下車、河辺駅南口バス停より西東京バス小05系統「小作駅西口行き」に乗車(5分)玉川神社前で下車、徒歩すぐのところにあります。 境内に巨大な神石あり、このためここを清地として、承平のころ、源経基が常陸の鹿島神社を勧請したといわれ、もと、鹿島社とか、鹿島大明神と称していました。玉川明神は、明暦のころ、玉川上水の清浄を祈願したのがはじめといわれているそうです。 鹿島玉川神社は、武蔵介源経基が承平年間(931-937)に常陸国鹿島神宮を勧請して創建、長淵村の鎮守社だったといいます。慶安2年(1649)には徳川家光より社領2石8斗の御朱印状を拝領、承応2年(1653)玉川上水開削に際して玉川大明神を祀ったといわれています。 鹿島玉川神社本殿は、かつては鹿島社と呼ばれ、承平年間(931―938)の創建と伝えられていますが、建築様式などから、実際は元和6年(1620)に建てられたと推察されているそうです。のち元禄2年(1689)に修理されましたが、建築当初の形式を大きく変えるものではなく、旧状がよく保たれています。 社殿は、石積基壇上の礎石に土台を置き、丸柱を立て、床は浜床と五級木階で高く組み、三方に高欄付の縁を廻します。内陣は、正面に開戸がつく他は板壁で囲われた閉鎖的な空間です。屋根の目板打の流し板葺の形式が特徴的で、都内でも数少ない作例の一つとなっているそうです。 近世初頭における神社本殿の建築様式を知る上で貴重な建物となっております。 鹿島玉川神社敷地内には、お子様たちも遊べるよう公園も備えられているため、歴史ある建物を見たあとにご家族皆様でちょっと運動を楽しんでから帰られるのも良いのではないでしょうか。 是非、お近くに来た際は「鹿島玉川神社」のことを思い出していただき、ちょっと足を運んでみて下さい。
-
- 投稿ユーザーからの口コミ
- 青梅市千ケ瀬町にある「千ヶ瀬神社」は、JR青梅線「東青梅駅」南口下車、徒歩約10分くらいのところにあります。 千ヶ瀬神社は、古くは大社権現、江戸時代には稲荷社と称していたそうです。千ヶ瀬村の鎮守で、社家の先祖・出雲太郎某が故郷・出雲の杵築大社(出雲大社)の上を勧請し、出雲神社と称したことに始まると伝えられているそうです。明治7年(1874)村内の神明大神宮(神明社)を合祀し、明治16年(1883)千ヶ瀬神社と改称したそうです。 創建年代は不詳ですが、社家・高野氏の家伝によれば、今から一千年ほど前、先祖の出雲太郎某によって創建されたと言われています。出雲太郎は出雲国杵築大社(現在の出雲大社)の社人の次男であったが、故あって東国に下ったそうです。当地に住み着いて杵築大社の神を勧請し、出雲神社と称したのが当社の起こりといわれておます。 明治元年(1868)閏4月13日、有栖川宮へ神明・稲荷両社の名で道中安全祈祷の玉串を献上し、明治3年(1870)稲荷神社と改称、明治6年(1873)村社に列格。明治7年(1874)御伊勢山(『青梅市史』では御伊勢林)にあった神明大神宮(神明社)を境内に遷座し、明治16年(1883)両社を合わせて千ヶ瀬神社と称するようになったといわれています(※千ヶ瀬神社でいただいた由緒書に従う。『青梅市史』等では明治15年9月となっている)。 大正15年(1926)社殿を再建したといわれております。 また千ヶ瀬神社には、社殿の東西に出雲太郎が植えたと伝えられる御神木の椎の木があり、それぞれ朝日の御蔭、夕日の御蔭と呼ばれております。残念ながら夕日の御蔭は文明12年(1480)大風で折れ、枯れてしまったそうです。現在のものはその後に植えられたものだそうです。朝日の御蔭は現在も青々と茂り、昭和32年(1857)青梅市の天然記念物に指定されております。 また中には御朱印を集められている方もいるかと思いますが、「千ヶ瀬神社」でも頂く事ができます。御朱印は宮司様宅にて拝受できるそうです。(※社務所に案内図あり) 皆様も是非お近くに来た際は、心安らぐ「千ヶ瀬神社」へ一度立ち寄ってみてください。
-
周辺施設シネマネコから下記の施設まで直線距離で1,019m
日本キリスト教団 青梅教会
所在地: 〒198-0042 東京都青梅市東青梅3-10-4
- アクセス:
JR青梅線「東青梅駅」から「日本キリスト教団 青…」まで 徒歩6分
-
-
- 0件
-
-
-
- 0本
-
-
周辺施設シネマネコから下記の施設まで直線距離で1,259m
キリスト聖協団 青梅教会
所在地: 〒198-0052 東京都青梅市長淵4-250
- アクセス:
JR青梅線「河辺駅」から「キリスト聖協団 青梅…」まで 徒歩15分
-
-
- 0枚
-
-
-
- 0本
-
- 投稿ユーザーからの口コミ
- キリスト聖協団青梅教会は吉野街道沿いにあり、河辺駅から歩いて15分の所にあります。日曜日の午前中にミサがあるので、妻と子供と一緒に毎週来ています。牧師さんの話を聞きながら、お祈りをしています。
-
- 投稿ユーザーからの口コミ
- 春日神社は、河辺駅南口下車徒歩約6分のところにあります。敷地内には小さな公園もあり、小さなお子様連れの方など多くの地元の方が立ち寄るスポットとなっております。 河辺春日神社は、青梅市河辺町にある神社です。創建年代等は不詳ですが、春日社と称して字西先戸山林中に鎮座、河辺村の鎮守社で、社領3石の御朱印状を拝領していたといわれているそうです。火災により明和元年(1764)焼失、東円寺住職心眠房意賢が当地に再建、明治6年村社に列格したといわれています。 東京都神社名鑑による河辺春日神社の由緒 鎮座年月不詳です。もと春日大明神と称し、明治二年社号を改めたと言われているそうです。旧社は字西先戸山林中にあったが、明和元年(一七六四)十二月五日火災により焼失、東円寺住職心眼坊意賢村民と協力して、明和二年(一七六五)より安永三年(一七七四)にかけて、現在地に社殿を再営、別当となり、神仏分離令により神職の奉仕にかわったそうです。明治三十五年十二月二十三日春日神社と改称。大正九年三月、調布村より一町五反の山林の寄進を受けましたが、社殿修復のため処分したと言われております。(?東京都神社名鑑より) 「青梅市史」による河辺春日神社の由緒 春日神社 河辺(現・河辺三丁目)に鎮座する。祭神は武甕槌神、経津主神、天児屋根神、此売大神で、例祭は九月十九日である。創建は不明。往古は字西先戸山林中にあり、春日大明神と称した。明和元年(一七六四)十二月火災により焼失、同二年より安永三年(一七七四)にかけて、東円寺住職心眠房意賢が現在地に再建し、別当となった。明治六年、村社に列格。社号も春日神社と改称した。社宝に木製の御神体、棟札などが現存する。境内面積は三三二坪(一、〇九六平方メートル) である。(「青梅市史」より) このように色々な諸説はありますが、あくまでもご参考にしていただき、近くに来た際はなんとなくこんな事が書かれていたなと思い出しながら近くに来た際は立ち寄ってみて下さい。
-
- 投稿ユーザーからの口コミ
- 東京都青梅市にある新町御嶽神社(しんまちみたけじんじゃ)です。新町御嶽神社は通称であり、正式名称は御嶽神社です。この新町御嶽神社は、元和2年(1616年)武蔵野台地で最初期に成立した新田集落である青梅新町村が開かれた際、開拓を主導した吉野織部之助正清が大和国金峯山大権現を勧請し、村の鎮守として奉斎したことに始まるそうです。御祭神は広國押武金日命、日本武尊、木花咲耶姫命で、社格は旧村社です。境内には明治19年(1886年)勧請の鹽竈神社、昭和61年(1986年)勧請の新町天神社などがあり、広く信仰を集めています。場所は青梅市の新町にあり、JR青梅線小作駅が最寄駅となります。小作駅の東口を出てロータリーの左側(西側)の都道181号線(藤橋小作線)を北方面に進み、新町桜株の信号(交差点)を左に曲がり青梅街道を西側へ進みます。その後、御嶽神社入口の信号(交差点)を右に曲がって北方面へ進むと大きな鳥居が見えてきますので、すぐに分かると思います。徒歩で約20分で辿り着きます。青梅新町村の開拓を主導した吉野織部之助正清は、元は武蔵国忍城の城主・成田氏に仕える武士であったそうです。しかし天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐で成田氏が没落したため、多摩郡下師岡村(現在の青梅市師岡町・東青梅あたり)に移り住んで帰農し、名主として手腕を発揮したようです。慶長16年(1611年)吉野織部之助正清は幕府代官に武蔵野の新田開発を願い出、許可を得て新町村の開拓に着手しました。元和2年(1616年)に開拓が完成し、この時に吉野織部之助正清が大和国金峯山大権現を勧請して、村の鎮守として奉斎したようです。これが新町御嶽神社の創祀とのことです。境内には御神木のしだれ桜や鹽竈桜をはじめ多くの桜があり、春先には美しい姿を見せてくれます。凛とした空気感があり、心が洗われるようなスポットで、近隣訪問時にはぜひ一度参拝してみていただきたい、オススメできる神社です。
-
- 投稿ユーザーからの口コミ
- 東京都青梅市長渕にある「鹿島玉川神社」は、JR青梅線東青梅駅下車、徒歩25分、またはJR青梅線河辺駅下車、河辺駅南口バス停より西東京バス小05系統「小作駅西口行き」に乗車(5分)玉川神社前で下車、徒歩すぐのところにあります。 境内に巨大な神石あり、このためここを清地として、承平のころ、源経基が常陸の鹿島神社を勧請したといわれ、もと、鹿島社とか、鹿島大明神と称していました。玉川明神は、明暦のころ、玉川上水の清浄を祈願したのがはじめといわれているそうです。 鹿島玉川神社は、武蔵介源経基が承平年間(931-937)に常陸国鹿島神宮を勧請して創建、長淵村の鎮守社だったといいます。慶安2年(1649)には徳川家光より社領2石8斗の御朱印状を拝領、承応2年(1653)玉川上水開削に際して玉川大明神を祀ったといわれています。 鹿島玉川神社本殿は、かつては鹿島社と呼ばれ、承平年間(931―938)の創建と伝えられていますが、建築様式などから、実際は元和6年(1620)に建てられたと推察されているそうです。のち元禄2年(1689)に修理されましたが、建築当初の形式を大きく変えるものではなく、旧状がよく保たれています。 社殿は、石積基壇上の礎石に土台を置き、丸柱を立て、床は浜床と五級木階で高く組み、三方に高欄付の縁を廻します。内陣は、正面に開戸がつく他は板壁で囲われた閉鎖的な空間です。屋根の目板打の流し板葺の形式が特徴的で、都内でも数少ない作例の一つとなっているそうです。 近世初頭における神社本殿の建築様式を知る上で貴重な建物となっております。 鹿島玉川神社敷地内には、お子様たちも遊べるよう公園も備えられているため、歴史ある建物を見たあとにご家族皆様でちょっと運動を楽しんでから帰られるのも良いのではないでしょうか。 是非、お近くに来た際は「鹿島玉川神社」のことを思い出していただき、ちょっと足を運んでみて下さい。
-
- 投稿ユーザーからの口コミ
- 青梅市千ケ瀬町にある「千ヶ瀬神社」は、JR青梅線「東青梅駅」南口下車、徒歩約10分くらいのところにあります。 千ヶ瀬神社は、古くは大社権現、江戸時代には稲荷社と称していたそうです。千ヶ瀬村の鎮守で、社家の先祖・出雲太郎某が故郷・出雲の杵築大社(出雲大社)の上を勧請し、出雲神社と称したことに始まると伝えられているそうです。明治7年(1874)村内の神明大神宮(神明社)を合祀し、明治16年(1883)千ヶ瀬神社と改称したそうです。 創建年代は不詳ですが、社家・高野氏の家伝によれば、今から一千年ほど前、先祖の出雲太郎某によって創建されたと言われています。出雲太郎は出雲国杵築大社(現在の出雲大社)の社人の次男であったが、故あって東国に下ったそうです。当地に住み着いて杵築大社の神を勧請し、出雲神社と称したのが当社の起こりといわれておます。 明治元年(1868)閏4月13日、有栖川宮へ神明・稲荷両社の名で道中安全祈祷の玉串を献上し、明治3年(1870)稲荷神社と改称、明治6年(1873)村社に列格。明治7年(1874)御伊勢山(『青梅市史』では御伊勢林)にあった神明大神宮(神明社)を境内に遷座し、明治16年(1883)両社を合わせて千ヶ瀬神社と称するようになったといわれています(※千ヶ瀬神社でいただいた由緒書に従う。『青梅市史』等では明治15年9月となっている)。 大正15年(1926)社殿を再建したといわれております。 また千ヶ瀬神社には、社殿の東西に出雲太郎が植えたと伝えられる御神木の椎の木があり、それぞれ朝日の御蔭、夕日の御蔭と呼ばれております。残念ながら夕日の御蔭は文明12年(1480)大風で折れ、枯れてしまったそうです。現在のものはその後に植えられたものだそうです。朝日の御蔭は現在も青々と茂り、昭和32年(1857)青梅市の天然記念物に指定されております。 また中には御朱印を集められている方もいるかと思いますが、「千ヶ瀬神社」でも頂く事ができます。御朱印は宮司様宅にて拝受できるそうです。(※社務所に案内図あり) 皆様も是非お近くに来た際は、心安らぐ「千ヶ瀬神社」へ一度立ち寄ってみてください。
-
-
-
- 0枚
-
-
-
- 0本
-
- 投稿ユーザーからの口コミ
- キリスト聖協団青梅教会は吉野街道沿いにあり、河辺駅から歩いて15分の所にあります。日曜日の午前中にミサがあるので、妻と子供と一緒に毎週来ています。牧師さんの話を聞きながら、お祈りをしています。
-
-
-
- 0枚
-
-
-
- 0本
-
- 投稿ユーザーからの口コミ
- ここの教会は、河辺駅から徒歩14分の所にあります。日曜礼拝もあります。第一土曜日は、午後7時から子育て講習会もあり、私の妻もキリスト教で小さい子供がいるので、参加をしています。
-
-
-
- 0枚
-
-
-
- 0本
-
- 投稿ユーザーからの口コミ
- 青梅市の喧騒から少し離れた場所に、ひっそりと佇む「虎柏神社」。この神社は、地元の人々から「とらかしわじんじゃ」と親しまれ、古くから地域の守り神として崇められてきました。今回は、そんな虎柏神社の魅力をたっぷりとご紹介します! 自然に囲まれた静かな参道 虎柏神社へのアプローチは、まるで別世界へと誘われるかのよう。参道は緑豊かな木々に囲まれ、鳥のさえずりが聞こえる静かな空間が広がっています。参道を歩いているだけで、心が洗われるような清々しい気分に。都会の喧騒を忘れ、自然と一体化できる場所です。 パワースポットとしても有名なご神木 虎柏神社のシンボルともいえるのが、境内にそびえ立つご神木。その存在感は圧巻で、まるで神社の守護神のように見えます。ご神木の周りには特別なエネルギーが漂っており、パワースポットとしても人気。手を当ててみると、じんわりと温かさを感じることもあるそうです。ぜひ、ご神木のパワーを体感してみてください。 歴史を感じる由緒ある社殿 社殿は、歴史の重みを感じさせる風格ある造り。木造の建物は、年月を経てもなお美しく、その緻密な彫刻や装飾は見応えがあります。ここでお参りをすると、何か特別なご利益がありそうな気がしてきます。ぜひ、ゆっくりと時間をかけて参拝してみてください。 季節ごとに変わる美しい景色 虎柏神社は、四季折々の表情を見せてくれます。春は桜が咲き誇り、夏は新緑がまぶしく、秋は紅葉が境内を彩り、冬は静寂の中に佇む姿が神秘的。どの季節に訪れても、その時々の美しさを楽しむことができます。特に、秋の紅葉シーズンは絶景で、カメラを持って訪れる人も多くいます。 アクセスと周辺情報 虎柏神社へのアクセスは、JR青梅線「青梅駅」から徒歩約15分。駅からは少し歩きますが、その分、到着した時の感動もひとしおです。周辺には、青梅市の観光スポットもたくさんあるので、神社参拝の後に散策するのもおすすめです。 まとめ 虎柏神社は、青梅市の中でも特に静かで落ち着いた雰囲気が魅力の神社です。ご神木のパワーや歴史ある社殿、四季折々の美しい景色など、見どころがたくさん。ぜひ、一度訪れてその魅力を体感してみてください。
-
-
-
- 0件
-
-
-
- 0枚
-
-
-
- 0本
-
-
ホームメイト・リサーチに
口コミ/写真/動画を投稿しよう!
「口コミ/写真/動画」を投稿するには、ホームメイト・リサーチの「投稿ユーザー」に登録・ログインしてください。
Googleアカウントで簡単に最も安全な方法で登録・ログインができます。
ゲストさん
- ゲストさんの投稿数
-
今月の投稿数 ―施設
- 累計投稿数
-
詳細情報
―件
口コミ
―件
写真
―枚
動画
―本