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- 金沢在住の私が愛してやまないお寺の一つがこの「雨宝院」であり非常に歴史のあるお寺になります。今住んでいる私の家から徒歩で5分と掛からないところにあるお寺で非常に馴染みがあります。場所は金沢市で一番の繁華街の片町から徒歩10分掛からない程で、金沢の中心を流れる犀川に架かる犀川大橋のたもとの川沿いにあります。このお寺が有名なのは、金沢の文豪である「室生犀星」のゆかりのお寺であるからです。室生犀星が幼少期から養子として育てられたのがこのお寺で、境内には犀星ゆかりの遺品や直筆の小説原稿、再生が書いたお寺宛ての手紙などの多くの品々が展示されています。私の子供たちが通っていた金沢市中心部の「中村町小学校」の校歌も室生犀星の作詞で地元石川県だけでも小学校、中学校、高校、大学を合わせると12校もの校歌を作詞しています。雨宝院の場所周辺は金沢では有名な「寺町(てらまち)寺院群」と呼ばれ、戦災にあっていないその街並みは、江戸時代の雰囲気が良く残っている地域となっています。室生犀星の数ある小説の中でも、この雨宝院がしばしば登場し、有名なところでは「性に目覚める頃」では、抹茶を好んだ養父の手伝いで、寺院の裏手から雑賀の水を汲みに行った事や、その川の水が清らかで澄んでいる事、鮎やウグイが泳ぐ姿など、雨宝院から見る犀川の美しさが非常に細やかに表現されています。境内には「まよい小石」という大きな石があり、この石にもたれたりするのを犀星は好んでいたと言う話も有名で、小説の中では『子供が道に迷ったりすると、この墓碑に祈願すれば、ひとりでに子供の迷っている町がわかる』石、として紹介されています。犀星の作品から大正期の金沢を思い起こす事は容易で、雨宝院はその中でも目立つ様な大きなお寺でもなく、犀川の川べりにひっそりと寄り添っている感じなのであるが、だからこそ心静かに昔を回想してゆっくりとした時間を過ごすには非常に良いお寺であると思います。近くには「室生犀星記念館」もあるので「雨宝院」と併せて訪れてみる事をお勧めします。
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- 昨年の秋に、金沢へ旅行に行った際、どこかおすすめの観光地はないかな、とネットで検索していたところ、この妙立寺を見つけました。 別名「忍者寺」と言われているそうで、落とし穴になるお賽銭箱や、隠し階段などがあるとのこと。 それを読んだ瞬間、楽しそう!!行ってみたい!と思いました。 事前に予約が必要とのことで、電話をかけたら希望の日時に無事に予約ができました! 当日は旅行の2日目、偶然にも金沢マラソンと重なっており、市内は交通規制がかかっていました。 バスなどが運休している時間もあり、妙立寺に行けない!!!どうしよう!?とちょっと焦りましたよー。 そこで、タクシーを利用して行くことにしました。 タクシーの運転手さんが、規制がかかっていないところを通って、妙立寺まで連れて行ってくださり、予約していた時間よりも早く到着することができました。 予約の時間より30分以上早く到着したのですが、お寺の案内の方に名前と予約していることを伝えると、ひとつ前の予約の枠に入れてくださいました。 ありがたかったです! まずは本堂に入り、お寺の説明を聞きます。 十数人ほどのグループになり、案内の方の説明を聞きながら堂内を進んでいきます。 堂内では撮影が禁止だったので、いろいろな「しかけ」の写真はないのですが おどろくことばかりで、とっても楽しかったです。 お寺の外観は2階建てなのですが、なんと内部は4階建てで7層からなっているというのですから、なんとも不思議です。迷路のようになっていましたよ。 当時は3階建て以上の建物は禁止されていたそうで、外からは2階建てにしか見えないようにしていたみたいです。 物置の戸を開いて、床板をまくると階段がでてきて、その中に人が身を隠すことができるようになっていたり、渡り廊下に見せた階段で、床板をはずすと落とし穴になっていたりと、あちらこちらにたくさんのしかけがいっぱいでした! 本堂の正面入り口にあるお賽銭箱は、落とし穴としても利用できたそうです。 伝説の井戸は深さ25Mほどあるそうです。茶水に利用されていましたが、水面に横穴があり、それが金沢城まで続いていて、逃げ道になったとも言われているとか! 昔の方の知恵は本当にすごいですね! とっても楽しかったし、みなさんにもおすすめしたい観光スポットです。
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- 石川県金沢市寺町にあるお寺で通称「大桜」と言われ地元住民に親しまれています。自宅から近く歩いてゆける距離にあるので、桜の季節には子供たちが小さい時に、家族で散策に出かけた思い出があります。町の名前「寺町」の通り、近隣には寺院群があり多くのお寺が立ち並んでいます。車でアクセス方法は、金沢市の中心を取る野田専光寺線を広小路交差点より野田方面へ向かって、懐石料理で有名な料亭の「つば甚」の迎いになります。公共交通機関のバスを使用する場合は、野町広小路バス停より徒歩で約5分に位置になります。松月寺が創建されたのは文禄2年(西暦1593年)になります。改ざんした師は「大安存察大和尚」、開基は「瑞亀院殿夕雲全劫居士」、ご本尊は「釈迦牟尼仏」、現在のご住職は「槻 健二さん」になります。お寺の特徴としては、先にも書きましたが、毎月4月中旬には大桜が満開になり、見頃となります。平成15年には、石川県農林試験場によって育てられた大桜直系の若木を大切に育て後継木として育てています。大木の根の周囲は約6m、高さ約14mもあり、お花の大きさが約5cmの美しい白いお花を咲かせます。お寺の文化財としての評価は、昭和18年8月に国の天然記念物の指定を受けています。この桜は加賀藩3代藩主前田利常と親しい仲であった松月寺2世至岸和尚が小松城から大切に持って来て移植した桜であるとの事です。大桜は学名をショウゲツザクラといい、ヤマザクラ・オオシマザクラ系の一種で学名にお寺の名前が付く由緒ある桜であることが伺えます。お寺が創建されたのは、先にも書きました通り、文禄2年(1593年)に越前堀井庄に於いて創建されました。その後、金沢、富山、金沢市の小立野台へと転々とし、元和元年(1615年)に現在地に移転したと歴史書には書かれています。境内には樹齢約400年の桜の木が大通りへはみ出し、大桜として親しまれている為、桜の季節には特に目に入り、地元の人たちはもちろんですが、多くの観光客の方々が来観されています。
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- 石川県金沢市の寺町寺院群にあるお寺になります。伏見寺は石川県金沢市寺町5丁目にある高野山真言宗の寺院になります。伏見寺の創建年度は不詳ですが言い伝えによると西暦717年(養老元年)、芋掘藤五郎が寺院を建立し採掘した砂金で制作した本尊となる阿弥陀如来像に、行脚でたまたま当地を訪れた行基菩薩(奈良時代の高僧)が開眼供養したのが始まりと伝えられています。当初、伏見寺は今の金沢市南部になる石川郡山科村にあったとの事です。その後、1615年(元和元年)に快存和尚が現在地である寺町に移しているとの事です。本尊に祭られてある阿弥陀如来像は平安時代初期に制作されたもので銅造鍍金像、像高22.1㎝、平安時代の金銅仏の遺構として大変貴重な事から1950年(昭和25年)に国指定重要文化財に指定されています。伏見寺の護摩堂に安置されている木造不動明王坐像は平安時代に制作されたもので一木造、2014年(平成26年)に金沢市指定文化財に指定されています。伏見寺は金沢の地名の起こりとなったとされ境内には芋掘藤五郎のものと伝わる墓碑が建立されています。歴史に興味にある方は、是非とも金沢の地名の由来となったこのお寺で、芋ほり藤五郎の歴史に触れてみるのは如何でしょうか。
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- 石川県金沢市の野町にあるお寺で、自分が現在居住している町の隣町にあります。最近拝観したのですが、自分の住んでいる近くに日本の歴史上の出来事に大きく関わったお寺がある事を改めて知り驚いています。三光寺については、明治11年(1878)、大久保利通を東京の紀尾井町で暗殺した島田一良たちの集会所であったとして有名なお寺です。そのため事件の首謀者たちは「三光寺派」と呼ばれました。その歴史は古く、創建されたのは、1635(寛永12)年に創建されました。山門は平成3年(1991)に石の仁王門として現住職自ら制作し再建されました。また、現住職彫刻の石の仁王門は必見。境内には水琴窟もあり、いつでも聞くことが出来て、その清々しいい音色に魅了されます。アクセス方法は、JRで来られた方は金沢駅からバスで15分 北陸鉄道路線バス、城下まち金沢周遊バスを利用してもらい広小路バス停から徒歩で3分になります。金沢市内を走る「ふらっとバス」を利用の場合は、武蔵ヶ辻・近江町バス停からバスで25分 金沢ふらっとバス長町ルートに乗り野町広小路バス停から徒歩で4分の場所になります。金沢在住の私でも、最近になって訪れた場所ですので、観光でお越しの際は、一度散策してみても良いかと思います・
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- 昨年の秋に、金沢へ旅行に行った際、どこかおすすめの観光地はないかな、とネットで検索していたところ、この妙立寺を見つけました。 別名「忍者寺」と言われているそうで、落とし穴になるお賽銭箱や、隠し階段などがあるとのこと。 それを読んだ瞬間、楽しそう!!行ってみたい!と思いました。 事前に予約が必要とのことで、電話をかけたら希望の日時に無事に予約ができました! 当日は旅行の2日目、偶然にも金沢マラソンと重なっており、市内は交通規制がかかっていました。 バスなどが運休している時間もあり、妙立寺に行けない!!!どうしよう!?とちょっと焦りましたよー。 そこで、タクシーを利用して行くことにしました。 タクシーの運転手さんが、規制がかかっていないところを通って、妙立寺まで連れて行ってくださり、予約していた時間よりも早く到着することができました。 予約の時間より30分以上早く到着したのですが、お寺の案内の方に名前と予約していることを伝えると、ひとつ前の予約の枠に入れてくださいました。 ありがたかったです! まずは本堂に入り、お寺の説明を聞きます。 十数人ほどのグループになり、案内の方の説明を聞きながら堂内を進んでいきます。 堂内では撮影が禁止だったので、いろいろな「しかけ」の写真はないのですが おどろくことばかりで、とっても楽しかったです。 お寺の外観は2階建てなのですが、なんと内部は4階建てで7層からなっているというのですから、なんとも不思議です。迷路のようになっていましたよ。 当時は3階建て以上の建物は禁止されていたそうで、外からは2階建てにしか見えないようにしていたみたいです。 物置の戸を開いて、床板をまくると階段がでてきて、その中に人が身を隠すことができるようになっていたり、渡り廊下に見せた階段で、床板をはずすと落とし穴になっていたりと、あちらこちらにたくさんのしかけがいっぱいでした! 本堂の正面入り口にあるお賽銭箱は、落とし穴としても利用できたそうです。 伝説の井戸は深さ25Mほどあるそうです。茶水に利用されていましたが、水面に横穴があり、それが金沢城まで続いていて、逃げ道になったとも言われているとか! 昔の方の知恵は本当にすごいですね! とっても楽しかったし、みなさんにもおすすめしたい観光スポットです。
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- 石川県金沢市の野町にあるお寺で、自分が現在居住している町の隣町にあります。最近拝観したのですが、自分の住んでいる近くに日本の歴史上の出来事に大きく関わったお寺がある事を改めて知り驚いています。三光寺については、明治11年(1878)、大久保利通を東京の紀尾井町で暗殺した島田一良たちの集会所であったとして有名なお寺です。そのため事件の首謀者たちは「三光寺派」と呼ばれました。その歴史は古く、創建されたのは、1635(寛永12)年に創建されました。山門は平成3年(1991)に石の仁王門として現住職自ら制作し再建されました。また、現住職彫刻の石の仁王門は必見。境内には水琴窟もあり、いつでも聞くことが出来て、その清々しいい音色に魅了されます。アクセス方法は、JRで来られた方は金沢駅からバスで15分 北陸鉄道路線バス、城下まち金沢周遊バスを利用してもらい広小路バス停から徒歩で3分になります。金沢市内を走る「ふらっとバス」を利用の場合は、武蔵ヶ辻・近江町バス停からバスで25分 金沢ふらっとバス長町ルートに乗り野町広小路バス停から徒歩で4分の場所になります。金沢在住の私でも、最近になって訪れた場所ですので、観光でお越しの際は、一度散策してみても良いかと思います・
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- 石川県金沢市の寺町寺院群にあるお寺になります。伏見寺は石川県金沢市寺町5丁目にある高野山真言宗の寺院になります。伏見寺の創建年度は不詳ですが言い伝えによると西暦717年(養老元年)、芋掘藤五郎が寺院を建立し採掘した砂金で制作した本尊となる阿弥陀如来像に、行脚でたまたま当地を訪れた行基菩薩(奈良時代の高僧)が開眼供養したのが始まりと伝えられています。当初、伏見寺は今の金沢市南部になる石川郡山科村にあったとの事です。その後、1615年(元和元年)に快存和尚が現在地である寺町に移しているとの事です。本尊に祭られてある阿弥陀如来像は平安時代初期に制作されたもので銅造鍍金像、像高22.1㎝、平安時代の金銅仏の遺構として大変貴重な事から1950年(昭和25年)に国指定重要文化財に指定されています。伏見寺の護摩堂に安置されている木造不動明王坐像は平安時代に制作されたもので一木造、2014年(平成26年)に金沢市指定文化財に指定されています。伏見寺は金沢の地名の起こりとなったとされ境内には芋掘藤五郎のものと伝わる墓碑が建立されています。歴史に興味にある方は、是非とも金沢の地名の由来となったこのお寺で、芋ほり藤五郎の歴史に触れてみるのは如何でしょうか。
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- 石川県金沢市寺町にあるお寺で通称「大桜」と言われ地元住民に親しまれています。自宅から近く歩いてゆける距離にあるので、桜の季節には子供たちが小さい時に、家族で散策に出かけた思い出があります。町の名前「寺町」の通り、近隣には寺院群があり多くのお寺が立ち並んでいます。車でアクセス方法は、金沢市の中心を取る野田専光寺線を広小路交差点より野田方面へ向かって、懐石料理で有名な料亭の「つば甚」の迎いになります。公共交通機関のバスを使用する場合は、野町広小路バス停より徒歩で約5分に位置になります。松月寺が創建されたのは文禄2年(西暦1593年)になります。改ざんした師は「大安存察大和尚」、開基は「瑞亀院殿夕雲全劫居士」、ご本尊は「釈迦牟尼仏」、現在のご住職は「槻 健二さん」になります。お寺の特徴としては、先にも書きましたが、毎月4月中旬には大桜が満開になり、見頃となります。平成15年には、石川県農林試験場によって育てられた大桜直系の若木を大切に育て後継木として育てています。大木の根の周囲は約6m、高さ約14mもあり、お花の大きさが約5cmの美しい白いお花を咲かせます。お寺の文化財としての評価は、昭和18年8月に国の天然記念物の指定を受けています。この桜は加賀藩3代藩主前田利常と親しい仲であった松月寺2世至岸和尚が小松城から大切に持って来て移植した桜であるとの事です。大桜は学名をショウゲツザクラといい、ヤマザクラ・オオシマザクラ系の一種で学名にお寺の名前が付く由緒ある桜であることが伺えます。お寺が創建されたのは、先にも書きました通り、文禄2年(1593年)に越前堀井庄に於いて創建されました。その後、金沢、富山、金沢市の小立野台へと転々とし、元和元年(1615年)に現在地に移転したと歴史書には書かれています。境内には樹齢約400年の桜の木が大通りへはみ出し、大桜として親しまれている為、桜の季節には特に目に入り、地元の人たちはもちろんですが、多くの観光客の方々が来観されています。
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- 金沢在住の私が愛してやまないお寺の一つがこの「雨宝院」であり非常に歴史のあるお寺になります。今住んでいる私の家から徒歩で5分と掛からないところにあるお寺で非常に馴染みがあります。場所は金沢市で一番の繁華街の片町から徒歩10分掛からない程で、金沢の中心を流れる犀川に架かる犀川大橋のたもとの川沿いにあります。このお寺が有名なのは、金沢の文豪である「室生犀星」のゆかりのお寺であるからです。室生犀星が幼少期から養子として育てられたのがこのお寺で、境内には犀星ゆかりの遺品や直筆の小説原稿、再生が書いたお寺宛ての手紙などの多くの品々が展示されています。私の子供たちが通っていた金沢市中心部の「中村町小学校」の校歌も室生犀星の作詞で地元石川県だけでも小学校、中学校、高校、大学を合わせると12校もの校歌を作詞しています。雨宝院の場所周辺は金沢では有名な「寺町(てらまち)寺院群」と呼ばれ、戦災にあっていないその街並みは、江戸時代の雰囲気が良く残っている地域となっています。室生犀星の数ある小説の中でも、この雨宝院がしばしば登場し、有名なところでは「性に目覚める頃」では、抹茶を好んだ養父の手伝いで、寺院の裏手から雑賀の水を汲みに行った事や、その川の水が清らかで澄んでいる事、鮎やウグイが泳ぐ姿など、雨宝院から見る犀川の美しさが非常に細やかに表現されています。境内には「まよい小石」という大きな石があり、この石にもたれたりするのを犀星は好んでいたと言う話も有名で、小説の中では『子供が道に迷ったりすると、この墓碑に祈願すれば、ひとりでに子供の迷っている町がわかる』石、として紹介されています。犀星の作品から大正期の金沢を思い起こす事は容易で、雨宝院はその中でも目立つ様な大きなお寺でもなく、犀川の川べりにひっそりと寄り添っている感じなのであるが、だからこそ心静かに昔を回想してゆっくりとした時間を過ごすには非常に良いお寺であると思います。近くには「室生犀星記念館」もあるので「雨宝院」と併せて訪れてみる事をお勧めします。
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