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映画用語辞典(は行)



映画に関する用語(は行)をご紹介します。

バディムービー

バディムービー(バディムービー)

「バディ映画」、「バディフィルム」、「バディもの」とも呼ぶ。仕事のパートナーや友人など、対照的な性格や容姿を持つ2人組を主人公にした作品。主に、男性の2人組でアメリカ作品に多く見られる。喜劇、アクション、ロードムービー、西部劇のいずれかの要素で、同じ目的に向かう途中でハプニングに遭う、喧嘩をするなどの困難に遭遇。それを乗り越え、互いに友情を深め合うストーリー展開が多い。ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードが演じた実在する銀行強盗の物語『明日に向かって撃て!』(1969年・昭和44年)、刑事2人組のアクションムービーでメル・ギブソンとダニー・グローヴァーの『リーサル・ウェポン』(1987年・昭和62年)などを指す。日本では、ドラマから映画化された舘ひろしと柴田恭平の『あぶない刑事』(1987年・昭和62年)シリーズ、映画からドラマ化された三浦しをん原作で瑛太(えいた)と松田龍平の『まほろ駅前多田便利軒』(2011年・平成23年)などがある。

B級映画

もともとは1930(昭和5年)〜1950年(昭和25年)代にアメリカで製作された短期間で撮影し、低予算で作られた映画のことで、サブ的な存在の作品を指す。当時は二本立てで上映されたため、メインの大作をA級映画と呼んだ。また、のちにアメリカ大統領になったロナルド・レーガン、名優ジャック・ニコルソン、ロバート・デニーロなど、多くの有名俳優がB級映画から輩出されている。B級映画の監督として最も有名なのが、アメリカ映画界で初めて黒人差別主義者を批判的に描いた作家としても知られるロジャー・コーマン。『ワイルド・エンジェル』(1966年・昭和41年)、『侵入者』(1962年・昭和37年)など。日本においても短期間、低予算で作られた作品を指すが、安っぽい、質が悪い、薄っぺらい、粗末な作品、または、気楽に見られる、マニアック、ブラックジョークを扱う作品を言うなど、定義は人によって様々。

ぴあフィルムフェスティバル

主に、チケットや出版事業をしているぴあ株式会社が中心となって、毎年東京で開催される映画祭。略して「PFF」と表記される。1977年(昭和52年)に新しい才能の発見と育成、映画の新しい環境作りをテーマにした自主映画のためのコンペティション「PFFアワード」を発足。1984(昭和59年)年からは「PFFアワード」受賞監督の中から企画を募り、製作費の援助を行なう他、海外の映画祭に出品するなど海外での活躍をサポートする映画製作援助制度「PFFスカラシップ」を創設。園子温(そのしおん)、橋口亮輔、矢口史靖(やぐちしのぶ)、荻上直子(おぎがみなおこ)など、のちに日本映画界で活躍する新人監督を数多く輩出している。中でも内田けんじ監督の作品『運命じゃない人』は、2005年(平成17年)カンヌ国際映画祭でフランス作家協会賞(脚本賞)をはじめとした4賞を受けた。

ピンク映画

ピンク映画(ピンクエイガ)

1960(昭和35年)〜1990年(平成2年)代に個人プロダクションなどの大手以外の映画製作会社が製作・配給し、性描写を中心に構成された作品のこと。予算300万円で3日で撮影するといった低予算、早撮りが特徴で、お色気映画、三百万映画、エロダクション映画などと言われていたが、新聞記者が「おピンク映画」と称したことがきっかけとなり「ピンク映画」と呼ばれるようになった。のちに有名監督となる若松孝二、黒沢清、周防正行らを輩出した。また、大手が製作・配給する成人映画を「ポルノ映画」と言い、「網走番外地」シリーズの石井輝男をはじめとした一流監督が手掛け、梅宮辰夫、丹波哲郎、伊吹吾郎などの有名俳優が出演した。さらに、日活が手掛けたポルノを「日活ロマン・ポルノ」と呼び、池玲子、杉本美樹らポルノ女優のスターを生み出した。日活はピンク映画の監督や俳優をヘッドハンティングすることもあった。ピンク映画専門の映画館は今も全国にも残っているが、客足が減少しており、経営者の高齢化などの理由により、閉館するところが多い。

ファンタジー

空想や幻想から生まれた魔法、超常現象、異世界などを描いたジャンル。アニメも含む架空の世界を舞台としたもの。SFXやVFXの技術が進化した2000年以降に多く作られるようになった。代表作は、ミヒャエル・ヘンデの「はてしない物語」を原作とした『ネバーエンディング・ストーリー』」(1984年・昭和60年・西ドイツ、アメリカ。日本公開は1985年)、今でも根強い人気を持つ『バック・トゥー・ザ・フューチャ』(1985年・昭和61年・アメリカ)、シリーズ化された『ロード・オブ・ザ・リング』(2001年・平成13年・ニュージーランド、アメリカ)、『ハリー・ポッターと賢者の石』(2001年・平成13年・アメリカ)、『ナルニア国物語』(2005年・平成17年・アメリカ)、さらに、ディズニーのアニメーターとして参加した経験を持つティム・バートン監督の『チャーリーとチョコレート工場』(2005年・平成17年・アメリカ)、『アリス・イン・ワンダーランド』(2010年・平成22年・アメリカ)など。大人も楽しめる作品が多い。

フィルム・コミッション

主に、都道府県や観光協会などの地方自治団体が運営する非営利公的機関。映画、テレビドラマの撮影場所の情報を提供し、誘致、プロモーション活動、エキストラ募集・手配、ロケハンの協力など撮影の支援を行なう窓口で、全国に組織化され、映画製作に欠かせない存在。ロケ地を誘致することで、地域の経済、観光振興、文化振興につながる。日本では、フィルム・コミッションの連絡機関として特定非営利活動法人ジャパン・フィルムコミッションがあり、以下の3つの約束が取り決められている。1.非営利公的機関であること 2.撮影のためのワンストップサービスを提供していること 3.作品内容を問わないこと。フィルム・コミッションした映画作品として、森田芳光監督『(ハル)』(1996年・平成8年・ロケ地 岩手県盛岡市)、中島哲也監督『下妻物語』(2004年・平成16年・茨城県下妻市)、行定勲監督『世界の中心で、愛をさけぶ』(2004・平成16年・香川県、愛媛県)、山下敦弘監督『リンダ リンダ リンダ』(2005年・平成17年・群馬県高崎市、前橋市)、中村義洋監督『ジャージの二人』(2008年・平成20年・群馬県嬬恋村(つまごいむら))、沖田修一監督『キツツキと雨』(2012年・平成24年・岐阜県、長野県)などがある。

フィルム・ノワール

フィルム・ノワール(フィルム・ノワール)

フランス語で暗い映画の意味を持つが、アメリカにおける映画用語。虚無的・悲観的・退廃的なテイストを持つ犯罪映画、異常心理映画を指し、『マルタの鷹』(1941年・昭和16年)をフィルム・ノワールの原点とし、『黒い罠』(1958年・昭和33年)までの時期に作られた作品を対象とされることが多い。特徴として、犯罪者など反社会的な思想を持つ破滅的な性格の男性が主人公、回想などの一人称のナレーション、夜間のロケーションが多く、影やコントラストを際立てた色調でほとんどがモノクロ、魅力的だが危険な女が登場する、低予算で製作されたB級映画などが挙げられる。また、『現金に手を出すな』(1954年・昭和29年)『男の争い』(1955年・昭和30年)などのフランスのギャング映画をフレンチ・フィルム・ノワール、『男たちの挽歌』(1986年・昭和61年)をはじめとしたジョン・ウー監督の作品を「香港ノワール」と呼ぶ。

フォトジェニー

フランス語でカメラ写りが良いこと、作品においての映像美のこと。語源は『沈黙』(1920年・大正9年)で知られるフランスのルイ・デリュック監督で、タイトルを「フォトジェニー」とした著書を1920年(大正9年)に発表し、フランス映画界に大きな影響を与えた。ルイ・デリュックが唱えた抽象的な理論をさらに詳しく説明したのが、デリュック監督を師と仰ぎ、エドガー・アラン・ポーの『アッシャー家の末裔』(1928年・昭和3年)を代表作とする映画監督のジャン・エプスタン。定義しにくい魔法の言葉と評されたデリュック監督のフォトジェニー論を、絵画にとっての色彩、あるいは彫刻にとってのボリューム、詰まるところ芸術の固有の要素だと定義した。『映画よこんにちは』(1921年・大正10年)、『エトナ山上の映画論』(1926年・昭和1年)を上梓している。フォトジェニー論に従って製作された映画のひとつとして、アベル・ガンス監督の『鉄路の白薔薇』(1923年・大正12年)が挙げられる。

吹き替え

2つの意味を持つ。1. アクションシーンをはじめとした危険な役を代役、スタントマンが演じること。「替え玉」とも言う。2. 外国映画を字幕で観るのではなく、セリフを日本語に訳し、新たに声優や俳優が日本語で録音した映画を指す。吹き替え版。1. は、無声映画(サイレント映画)の時代はどんな場面も代役なしで本人がアクションを演じていたが、俳優に芸術的な価値がついたことによって、トーキー(映像と音声が同期した映画)以降、ハリウッドではじめられた。吹き替えをやっていた俳優がのちにスターになることもあった。2. は、日本では字幕が主流だが、テレビで映画を放送する際、または、子供向け映画を上映する際、日本語の吹き替え版を用意することがある。声優をはじめ、有名俳優が担当する。最近では、若い人たちの活字離れの影響で吹き替え版も増えてきた。しかし、お金がかかるため、すべての映画に対して行なうのは困難だと予想される。

フリー・シネマ

フリー・シネマ(フリー・シネマ)

1956(昭和31年)〜1959年(昭和34年)に行なわれたイギリスのドキュメンタリー映画運動。リンゼイ・アンダーソン、カレル・ライス、トニー・リチャードソン、ロレンツァ・マッツェッティらのドキュメンタリー映画監督が、映画産業からの自由、人々の大切さ、日常の重要性といったマニュフェストを掲げ、保守的な階級社会への意見表明として労働者階級の日常生活をリアルに描くなど、それまでのイギリスにおいてのドキュメンタリー製作の慣例を覆した短編映画を製作。6回にわたってロンドンのナショナル・フィルム・シアターで上映会を行なった。主な作品はリンゼイ・アンダーソン『オー・ドリームランド』(1953年・昭和28年)、カレル・ライス、トニー・リチャードソン共同監督作品『Momma Don't Allow』(1956年・昭和31年)、ロレンツァ・マッツェッティ『Together』(1956年・昭和31年)などがある。

Vシネマ

映画製作、配給、興行をしている東映株式会社が、劇場公開ではなく、ビデオ(DVD)での公開を目的に製作した作品のこと。主に、レンタルビデオ店に並んでいる。V CINEMAは、ビデオとシネマから作られた言葉で、東映がブランド名として登録商標している。他社が製作した場合は「オリジナルビデオ」と言うが、ビデオ(DVD)での公開を目的とした作品の総称として「Vシネマ」と呼ばれることが多い。日本映画が不況に陥り、打開策として1989年(平成1年)からリリースされた。1作目は世良公則主演の『クライムハンター 怒りの銃弾』(1989年・平成1年)。のちに『修羅がゆく』シリーズ、『借王(シャッキング)」シリーズ、『BLACK MAFIA 絆』シリーズなどに出演している俳優の哀川翔と、 『難波金融伝・ミナミの帝王』シリーズ、『仁義』シリーズ、『影の交渉人 ナニワ人情列伝』シリーズなどに出演した俳優の竹内力が、「Vシネマの帝王」と呼ばれるようになった。

文化映画

日本では、記録映画、教育映画、科学映画、PRのために作られた短編映画などを指す。もとはドイツの映画会社ウーファ(UFA)社が、国策のひとつとして顕微鏡撮影や高速度撮影、微速度撮影を駆使して製作した「クルトゥーアフィルム【Kulturfilm】」と呼ばれるオリジナルの科学映画、教育映画を公開したことから、ドイツの映画法と一緒に日本にも輸入された。クルトゥーアフィルムの代表作品は、ヨーロッパの美しさをPRした1926年(昭和元年)の『美と力への道』。日本で「文化映画」と訳されて上映された。また、日本の文化映画は、松竹、東宝の大手映画会社が文化映画部を設立。松竹は1931年(昭和6年)に『輝く愛』など、東宝は検閲で上映が許可されなかった『戦ふ兵隊』(1939年・昭和14年)などを製作。『輝く愛』は劇場での一般公開はされず、全国の公民館や小中学校で上映された。

プログラムピクチャー

プログラムピクチャー(プログラムピクチャー)

映画館のプログラムを埋めるために作られた作品を指す。「B面映画」、「添え物映画」とも呼ばれた。アメリカで2本立て、3本立てといった複数本の上映が開始された1930年代の初めごろから作られるようになった。日本では1950年代から大手映画会社が系列映画館のプログラムを埋めるために数多く製作された。低予算、早撮りの娯楽作品だけでなく、ドキュメンタリー、教育映画などジャンルは多岐にわたる。実験的な内容もあり、新人監督、新人俳優の育成の場にもなった。1980年代から1本立てが主流になって以降、また、開始日、終了日などあらかじめ決められた作品のラインナップを、すべての系列映画館で一定期間上映する日本独自のシステム「ブロックブッキング」が崩壊した現在は、ほとんど作られていない。

プロダクション・コード

映画製作倫理規定のことで「ヘイズ・コード」とも言う。1930年(昭和5年)代初め〜1960年(昭和35年)代中期まで、ハリウッドの映画製作を規定していたガイドライン。アメリカ映画製作者配給者協会(MPPDA)によって運用されていた。卑劣な言葉を題名やセリフに使う、好色もしくは挑発的なヌード、麻薬をはじめとした薬物の違法取引、白人と黒人が性的関係を結ぶ、出産シーン、国家や宗教に対しての攻撃などの11の禁止事項と、旗、放火行為、殺人手口の描写、犯罪者への同情、動物虐待など23の注意事項によって映像表現が制限された。しかし、そのおかげでロマンティック・コメディ『或る夜の出来事』(1934年・昭和9年)など、脚本家や映画監督が頭をひねり、コード内ぎりぎりで製作した名作も生まれたと言われている。現在、日本では映画倫理委員会(映倫)が審査している。

プロダクション・デザイナー

日本では「美術監督」と呼ぶ。映画においての美術部門の総合責任者。作品によってスケールは異なるが、建造物、建築物をはじめ、作品が必要とする物や仕掛けのデザイン、予算の管理など、美術に関すること全般を担当する。監督から作品の製作、演出に関する意向、想い、製作条件などを聞きながら打ち合わせをし、脚本と向き合いながら監督が求める映像をイメージしてデザインを描く。その際、季節感、俳優の動き、視覚の構図、カメラの位置なども配慮し、計算しながら行なわなければならない。日本人では、クエンティン・タランティーノ監督『キル・ビル Vol.1』(2003年・平成15年)、三谷幸喜監督「有頂天ホテル」(2006年・平成18年)、『ザ・マジックアワー』(2008年・平成20年)『ステキな金縛り』(2011年・平成23年)『清須会議』(2013年・平成25年)などを手掛けた種田陽平が有名。

ホラー映画

ホラー映画(ホラーエイガ)

映画のジャンルのひとつで、観客に恐怖感を与えるように想定して作られた作品のこと。語源はラテン語で恐怖の意味を指す【Horror】から。日本では「怪奇映画」と呼ばれる。サスペンス映画、スリラー映画と密接に関係し、怪奇・幻想系、モンスター、心理スリラーと3つに区分されることもある。世界初のホラーは、アルフレッド・クラークの『スコットランド女王、メアリーの処刑』(1895年・明治28年・アメリカ)とも言われているが、無声映画『ガリガリ博士』(1920年・大正9年・ドイツ)『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922年・大正11年・ドイツ)が挙げられることもある。さらに1930年代には『魔人ドラキュラ』『フランケンシュタイン』(1931年・昭和6年・アメリカ)が大ヒット。ホラー映画というジャンルが定着した。また、『エクソシスト』(1973年・昭和48年)からオカルトブームが到来し、ハリウッドは『オーメン』(1976年・昭和51年)『キャリー』(1976年・昭和51年)など数多くのホラー映画を製作した。日本では『リング』(1998年・平成10年)『呪怨(じゅおん)』(2003年・平成15年)などがある。

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