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映画用語集(さ行)



映画に関する用語(さ行)をご紹介します。

サイレント映画

サイレント映画(サイレントエイガ)

台詞、音声、音響など音のない映画のこと。「無声映画」とも言う。1888年(明治21年)に世界で初めての映画「ラウンドヘイ・ガーデン・シーン」が登場。当時はフィルムに音声を入れる技術がなかったので、必然的に音のない映画が生まれた。1927年(昭和2年)に音がある映画=トーキー映画「ジャズ・シンガー」が登場するまで、すべての映画はサイレント映画だった。視覚的要素だけで表現しなければいけないため、様々な工夫を凝らして作られた。身振り・手振りや表情で表現するパントマイムの演技、台詞やト書きを表現する挿入字幕などがその例である。上映時には、オーケストラやバンドによる生演奏が付いたり、スクリーン横で活弁士による饒舌な内容解説などが行なわれた。

サウンドトラック

上映する映画フィルムにおいて、音声の入ったトラック(帯)のこと。1枚のフィルムには、映像を記録した部分と、その横に台詞・効果音・音楽などを含んだ音を記録した部分とがあり、後者がサウンドトラックである。このスタイルを用いて公開された映画では、ディズニー映画の「蒸気船ウィリーが」世界で初めてとされている。そこからサウンドトラックは進化し、CD-ROMに記録した高音質の音源を同期したり、デジタル音響システムを採用するものも多くなってきた。フィルム上のサウンドトラックという意味は薄れ、映像とシンクロする音全般を指すものになっている。また、ここから派生して、映画で流れた音声・音楽・歌をCDやレコードなどに収めたものも「サウンドトラック」、または「サントラ」と呼ばれている。オリジナルサウンドトラックの頭文字を取って、「OST」と表記されることもある。

サスペンス映画

サスペンス・フィルム。映画のジャンルのひとつで、観客に緊張感や不安を長時間にわたって与え、犯人は誰なのか、どうしてこうなったのか、揺れる登場人物の心情など、次の展開から結末までどうなるのか目が離せない構成になっている。サスペンスは宙ぶらりんの意味を持ち、ズボンを吊るサスペンダーが語源とも言われている。また、テーマをふたつ持ち合わせる作品も多く、推理サスペンス、サスペンス・ホラー、サスペンス・ロマン、サスペンス・コメディといった細かいジャンルで表現をすることもある。サスペンス映画としてよく知られているのが、車いすの男性が裏窓から隣りのアパートの人たちを観察するアルフレッド・ヒッチコック監督の『裏窓』(1954年・昭和24年・アメリカ)、『羊たちの沈黙』(1990年・平成2年・アメリカ)などがある。

撮影監督

撮影監督(サツエイカントク)

カメラのアングル、レンズ、フィルターの選択、映像の構図、ライティングの配置といった撮影技術に関する指示を出し、さらに、美術、衣装といった色に関する打ち合わせなど、映像におけるすべての責任を負う立場。監督と常に共同で作業するため、監督に次ぐ重要なポジションと言われている。日本では、カメラのアングルはカメラマン、ライティングは照明技師、露出計測は撮影助手といったように、それぞれのスペシャリストが担当する。撮影監督の永田鉄男は『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』(2007年・平成19年・フランス)、『ミックマック』(2009年・平成21年・フランス)など、フランスを拠点に海外で活躍している。アニメーションの撮影監督は、監督と絵コンテをもとに仕上がりをイメージする、原画チェック、美術担当と背景の打ち合わせ、特殊効果の指示など、完成までのすべてを手掛ける。

シネマ・コンプレックス

ひとつの施設に、おおむね5つ以上のスクリーンを有する映画館のことで、日本の映画館の8割以上を占めるスタイル。略して「シネコン」、「マルチプレックス」、「複合映画館」とも呼ばれる。アメリカで1960年代(昭和35年)に展開された。日本では神奈川県海老名市のワーナーマイカルシネマズ海老名(イオンシネマ海老名)が1993年(平成5年)にオープンしたのが最初。郊外のショッピングセンターに併設し、映画館に足を運ばなくなった中高年層、ファミリー層の集客に力を入れた。上映作品、上映期間、上映回数が自由に選べる上に、ショッピングセンターの広い駐車場が利用でき、終電を気にしなくて済むレイトショーを多く行なうようになった。また、20以上のスクリーンを持つ映画館を「メガプレックス」と呼び、アメリカ・カリフォルニア州のAMCオンタリオミルズ30は30スクリーンを維持している。

社長シリーズ

主に1950年代〜1970年に作られ、森繁久彌(もりしげひさや)、小林桂樹(こばやしけいじゅ)、河村黎吉(かわむられいきち)らが出演した社長シリーズは、15年にもわたる人気作品となった。原点は源氏鶏太(げんじけいた)の小説『三等重役(さんとうじゅうやく)』を原作にした映画が1952年(昭和27年)に公開し、大ヒット。『続三等重役』『一等社員 三等重役 兄弟篇』と続編が作られた。その後、『へそくり社長』を1956年(昭和31年)に公開。舞台は高度成長期の企業で、社長を演じるのは森繁久彌。豊富なアイデアを持ち、強いリーダーシップで会社の業績に貢献するもクライアントには頭が上がらない。おまけに恐妻家だが、女性にモテるため浮気騒動が勃発する。毎回のように接待の場でバカ騒ぎをし、小林桂樹が秘書役で登場するのがお決まりだった。33作目にあたる1970年(昭和45年)公開の『続・社長学ABC』で終了した。他にも森繁久彌、伴淳三郎(ばんじゅんざぶろう)、フランキー堺による駅前シリーズ、植木等、谷啓らのクレージーキャッツのメンバーが出演したサラリーマン喜劇、無責任シリーズなどがある。

小市民映画

小市民映画(ショウシミンエイガ)

「小市民」とは、安月給のサラリーマンのこと。小市民の日常を描いた作品群とその傾向を象徴する言葉で1930年代、昭和初期にスタイルが確立した。欧米の日本映画を扱う研究書には【Shomingek】(庶民劇)と書かれている。代表作は1929年(昭和4年)に公開された小津安二郎(おづやすじろう)監督のサイレント映画『大学は出たけれど』、『東京の合唱(コーラス)』(1931年・昭和6年)、『大人の見る繪本(えほん) 生まれてはみたけれど』(1932年・昭和7年)、成瀬巳喜男(なるせみきお)監督の『夜ごとの夢』(1933年・昭和8年)など。小市民が悲観や絶望といったマイナスの感情を持たざるを得なかった1920年代の関東大震災、アメリカ経済の大繁栄、世界恐慌などの変化が起きる中で、不況に嘆く当時のサラリーマンの暮らしや心情をリアルに描いた。

松竹大船撮影所

1936年(昭和11年)〜2000年(平成12年)まで、神奈川県鎌倉市大船にあった映画スタジオ。『男はつらいよ』シリーズなどが撮影された。1920年(大正9年)の創立以来、東京都大田区蒲田にあった松竹蒲田撮影所は、周辺に町工場が多いことから、騒音がトーキーの撮影に不具合が出る理由で1936年(昭和11年)に閉鎖し、大船に移転した。これまでの「蒲田調」と呼ばれる安月給のサラリーマンを描いた小市民映画、メロドラマ、喜劇などを引き継ぎつつも、初代所長の城戸四郎(きどしろう)によって、アメリカ映画から学んだモダニズムを取り入れた、ありふれた生活の中で家族愛などを描いた、静かに展開していく庶民劇のスタイルを確立。「大船調」と呼ばれるようになった。渥美清の死去により、看板作品だった『男はつらいよ』シリーズが終了したため、撮影所の閉鎖は余儀なくされた。

松竹蒲田撮影所

1902年(明治35年)に、大谷竹次郎と白井松次郎が演劇興行会社「松竹合資会社」を立ち上げ、1920年(大正9年)に映画の製作・配給を行なう「松竹キネマ合名社」を設立。東京都大田区蒲田に松竹蒲田撮影所をオープンした。松竹京都撮影所では、時代劇を中心に撮影が行なわれたのに対し、蒲田では現代劇を中心にした映画の撮影が行なわれた。また、監督が主導するスタイルを採用。当時主流だった演劇調のメロドラマのようなストーリー、スターを優先した映画作りではなく、明るくて健康的で近代の感覚を大切にした作品を手掛け、庶民の日常生活に寄り添い、情感を表現した小市民映画のスタイルを築き上げた。このような快活で健康的でセンチメンタルな作風が撮影所でのシンボルとなり、「蒲田調」と呼ばれるようになった。周辺に町工場が多く点在することから、トーキーの撮影に騒音が邪魔になり、1936年(昭和11年)に閉鎖。神奈川県鎌倉市大船に移転した。

ショット

カメラの回りはじめから止まるまでを撮影した画像のこと。長さは関係なく、切れずに連続して撮影されたものを指す。映像の最小単位。さらに「ショット・サイズ」は、撮影用語でカメラが被写体を画面内に収める大きさを言う。例として、「バスト・ショット」は人物のバストから上を撮影することで、ポートレートの基本ショットと言われている。「フル・ショット」は被写体の全身を映すこと。「ロングショット」は被写体を遠い位置から撮影することで、被写体全体や被写体が置かれている状況、背景などを伝える。「エスタブリッシング・ショット」とも呼ばれるが、別の表現法を指すこともある。また、「クレーン・ショット」は撮影用のクレーンを使うこと。ローアングルからハイアングルまで上下左右自由に撮影できる。数あるショット・サイズの中でも、被写体を画面いっぱいに映し出す「クローズアップ」と言われる手法は、『イントレランス』(1916年・大正5年)を代表作に持つアメリカの映画監督、D・W・グリフィスが演出法として発明した。

ジガ・ヴェルトフ集団

ヌーヴェルヴァーグの中心的な存在だったジャン=リュック・ゴダール、ジャン=ピエール・ゴラン、ジャン=アンリ・ロジェら、フランスの映画作家集団を指す。集団名となったジガ・ヴェルトフは、キノ・グラース(映画眼)理論を提唱し、『カメラを持った男』(1929年・昭和4年)、日本では『これがロシヤだ』のタイトルで知られるロシアの映画監督。カメラのレンズを通すことで、人間の目の限界を超えたものをありのままに映し出すことが映画の目的であると考えた。ゴダールたちジガ・ヴェルトフ集団は、この考えに影響を受け、これまでの形式にとらわれない自由なスタイルでの映画製作を行ない、匿名で、集団名のみのクレジットで発表した。集団名義の映画作品は『東風(とうふう)』(1969年・昭和44年・フランス、西ドイツ、イタリア)、『万事快調』(1972年・昭和47年)など。『ジェーンへの手紙』(1972年・昭和47年)を最後に解散した。

ジゴマ映画

フランスの探偵小説シリーズを原作とした映画。日本で作られた作品は「和製ジゴロ」と呼ぶ。ヴィクトラン・ジャッセ監督のサイレント映画『ジゴマ』(1911年・明治44年・フランス)が『探偵奇譚ジゴマ』のタイトルで同年に日本で公開され、大ブームとなった。さらに『女ジゴマ』、『ジゴマ続編』、『悪魔バトラ』、『ソニヤ』と次々と輸入され、公開。どれも再映される程の人気だった。その人気にあやかろうと、1912年(大正1年)に日本で製作された和製ジゴマ映画、『日本ジゴマ』が登場。『ジゴマ改心録』、『大悪魔』、『新ジゴマ大探偵』と続編が作られ、いずれも連日満員御礼だった。そんな中、ジゴマの影響を受けた犯罪、ジゴマごっこと称して青少年たちが泥棒をするなどの悪影響が指摘され、1912年(大正1年)10月から警視庁はジゴマ映画、犯罪映画の上映を規制した。

時代劇

時代劇(ジダイゲキ)

主に、戦国時代から江戸末期までの明治維新以前を舞台にした日本映画。日本初の時代劇は1908年(明治41年)製作の歌舞伎の演目を野外で撮影した『本能寺合戦(ほんのうじかっせん)』で、これらは「旧劇(きゅうげき)」と呼ばれ、低俗と見られていたが、1920年代(大正9年)に剣戟(けんげき)、あるいは、チャンバラの表現に対する意識が高くなり、娯楽としてクオリティの高い作品が京都で盛んに作られた。1923年(大正12年)の関東大震災によって撮影所の中心が京都へと移り、その量産ぶりは「日本のハリウッド」と呼ばれる程だった。当時の時代劇スターは、阪東妻三郎(ばんどうつまさぶろう)、市川右太衛門(いちかわうたえもん)、片岡千恵蔵(かたおかちえぞう)ら。再び黄金時代を迎えたのは1950年代。東映が「時代劇王国」のキャッチフレーズを掲げ、忠臣蔵を舞台にした『赤穂城(あこうじょう)』を1952年(昭和27年)に公開。『雪之丞変化』(1954年・昭和29年)の東千代乃介(あずまちよのすけ)をはじめとした時代劇スターが活躍した。東宝では『羅生門』(1950年・昭和25年)などの名作を世に送り出した。

ジャパニメーション

日本製のアニメーションを指す言葉としてアメリカで使われていた造語。【Japan】と【Animation】から「ジャパニーズ・アニメーション」、「ジャパニメーション」と略して呼ばれた。主に、1970(昭和45年)〜1980年代(昭和55年)に製作された作品を指すが、当時は、日本人のアニメ文化に対する偏見を意味する言葉として1980年代から使われていたと言われている。1988年(昭和63年)に公開された大友克洋のアニメーション映画『AKIRA』、1995年(平成7年)に公開された士郎正宗原作、押井守監督の『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』が海外で高い評価を得て、注目されるようになってから、ジャパニメーションの言葉が日本でも知られるようになった。1990年代以降は、日本で一般的に呼ばれている「アニメ」という言葉がアメリカにも浸透したため、ほとんど使われなくなった。

ジャンプカット

映画の編集技法のひとつで、映像の連続性を無視して、カットとカットの間に場面が切り替わったり、急展開したりする意味を含ませてつなぎあわせること。映画では、カットの繋ぎ目を観るものに意識させない編集をすることが基本とされているため、このような粗雑な編集は悪い例とされていたが、1950年代のフランスの映画運動、ヌーヴェルヴァーグ以降になると、あえて繋ぎ目を見せて違和感を持たせることで、作品を表現するメジャーな手法となった。ジャンプカットが初めて使われたのはジャン=リュック・ゴダールの長編デビュー作『勝手にしやがれ』(1959年・昭和34年・フランス)と言われている。その他、ジャンプカットを多用した作品として、スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』(1968年・昭和43年・アメリカ、イギリス)、ラース・フォン・トリアー監督でビョークが主演した『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000年・平成12年・デンマーク、ドイツ)などが挙げられる。

スクリーンサイズ

スクリーンサイズ(スクリーンサイズ)

「スクリーンサイズ」とは、スクリーン画面そのものの大きさではなく、映画(映像)のタテ×ヨコの比率を指す。映画館のスクリーンサイズには大きく分けて2種類。「フラットサイズ」と呼ばれる4:3の比率と、「スコープサイズ」と呼ばれる16:9の比率のものが主。すべてではないが、邦画ではフラットサイズが多く、洋画はスコープサイズが多い印象。フラットサイズにも歴史があり、サイレント映画時代に使われていたサイズは1.33:1だったが、1932年に映画芸術科学アカデミーによって1.375:1に改訂され、それ以降はその比率が標準になった。さらにフラットサイズの中には、1.66:1という少しだけヨコに長い画面サイズも存在し、これは「ビスタビジョン」と呼ばれる。それに対してスコープサイズは、フラットサイズよりも横長。20世紀FOX社の登録商標「シネマスコープ」の略称で「シネスコ」と呼ばれることもある。

スター・システム

映画会社が発掘した俳優、または、専属俳優、以前からのスターを優先して映画製作をすること。そうすることで集客につながった。はじまりは1910年(明治43年)。ハリウッドの映画会社、バイオグラフ社から女優のフローレンス・ローレンスをIMP社(のちにユニバーサル)がヘッドハンティングし、「フローレンス・ローレンス、路面電車事故で死亡」と嘘の噂を流した。新聞などで大きく取り扱われ、フローレンス・ローレンスは悲劇のヒロインとして多くの人たちに知られることになるが、のちに「生きています」と宣言し、主演映画を公開。ハリウッドの映画スター第1号となった。スター・システムは1910〜1920年に構築され、1930〜1940年代にピークを迎えたのち、1950年以降は、大手映画会社が製作から興行までを支配していたスタジオ・システムの崩壊と共に減退した。日本では、1950年代に片岡千恵蔵(かたおかちえぞう)、市川右太衛門(いちかわうたえもん)をはじめとしたスターを起用し、多くの映画が作られた。今でもスター中心の映画は世界で作られている。

スタジオシステム

企画、製作、配給、興行までを映画会社が一貫して経営するアメリカにおける映画製作の形態。基本的には1930〜1940代年のハリウッドの黄金期を指す。ほとんどがハリウッドに自社撮影スタジオを持ち、脚本家、監督、俳優をはじめとしたスタッフを専属にし、製作から配給、上映までを上層部がコントロール。確実な収益を得るために、マーケティング部門をニューヨークに置く、劇場チェーンを子会社にするなど、広範囲の大衆に受け入れられる作品を企画、製作した。例えば、メロドラマ、ミステリー、西部劇といったジャンルが人気だと分かると、新作でも客足が多いため、制作費を抑えて低予算で作った。しかし、1940年代後半に、このような縦の系列化は独占的であると宣言され、違法に。スタジオが所有する映画館を売却するよう命じられた。そのため、スタジオ・システムは1950年代以降に崩壊した。

スタッフロール

スタッフロール(スタッフロール)

映画作品で表示され、流れるもの。「スタッフ」と言っても、特に人に限らず、作品のクレジット全体についてこう呼ぶことがほとんど。監督や出演者(キャスト)、製作者、音楽担当、小道具担当などのスタッフの他、制作にかかわった企業や、撮影に協力した場所・団体などの名前やクレジットを一覧にしたものが、映画作品の上映後、ラストに流れることが多い。昔の洋画では、スタッフロールはラストではなく、映画上映の前に流れることが多かったが、1970年代以降、映画に関係した人すべての名前を連ねないといけなくなり、スタッフロールの情報量が一気に膨れ上がり、ラストに持ってくることが多くなったと言われている。作品の上映が終わったあとで流れるため、「エンドロール」と呼ぶことも多い。

スタントマン

「スタント・パーソン」とも言う。 女性の場合は「スタントウーマン」とも呼ばれる。「スタント」とは妙技、離れわざのこと。俳優の代役として演技をする、または、身体の部分的な吹き替えをするボディダブルの一種で、シーンにより迫力を出す効果を狙ったもの。一般的には、爆発して火が燃え上がる中を車で走ったり、自動車から転げ落ちたりするといったカー・スタント、または、高層ビルからワイヤー1本で吊り下がるなど、危険なシーンにおいて主役の代わりに演技をすることで知られているが、ピアノ演奏やスキー、スケートといった技術が必要なものからヌード撮影まで幅広い。また、照明や撮影の準備のために立ち位置を確認する俳優の代理人物を「スタンドイン」、特撮ヒーローものをはじめとした着ぐるみを着て戦闘アクションをする俳優を「スーツアクター」と呼ぶ。

スチル写真

「スチール」、「スチール写真」とも言う。スチル【still】は静かな、しんとしたなどの意味を持ち、静止画像を指す。映画の1シーンやロケ風景を撮影し、映画の宣伝用の画像として雑誌、新聞、ポスターなどで使用される。また、スチル写真を撮影するカメラマンを「スチルカメラマン」と呼び、本番中の臨場感のあるシーンを撮影するため、監督や照明といったスタッフと共に作業をする。その場合、音声が入ってしまわないよう、シャッター音を消すことが常識となっている。どうしても本番の撮影ができない場合は、監督、助監督の指示で俳優に本番そのままの演技をしてもらい、スチル用に撮影する。日本では撮影所ごとに専属のスチルカメラマンがいたが、最近ではフリーのカメラマンや、話題作りのひとつとして有名写真家が撮影することもある。

ステディカム

ステディカム(ステディカム)

手持ちで撮影するカメラのブレを最小限に抑える撮影用の機材のこと。「安定した」と言う意味を持つ英語ステディ(steady)とカメラを融合させた合成語で、アメリカの会社が商標を持っているが、他社でも同様の機材を作っている。その場合、「ステディカム」という単語が使用できないため、カメラスタビライザーなど会社によって名称が異なる。基本構造は、カメラマンが装着するボディスーツ、カメラを設置するスレッド、スプリングアームの3つからなっており、スプリングが身体の振動を吸収するため、カメラを持ったまま走ってもブレが伝わらない仕組みになっている。使いこなすには訓練や技術を要する。これまでスムーズな移動撮影をする場合は、レールの上、台車、さらにはクレーンにカメラを設置して移動する大掛かりなものだった。

スプラッター映画

「スプラッター・ムービー」、「ゴア・フィルム」、「血みどろ映画」、「血しぶきホラー」とも呼ばれている。「スプラッター【splatter】」とは、液体がはねる、飛び散るという意味で、首や手足をはねることによって血しぶきが飛び散る、内蔵が飛び出すというような残虐的なシーンを見せ場とするホラー映画の1ジャンル。心情的に恐怖に陥れるというよりも、派手な殺戮(さつりく)で、ハプニング、スリリングなシーンと共に、リアルに施された特殊メイクを楽しむ観客が多い。アメリカのハーシェル・ゴードン・ルイス監督の『血の祝祭日』(1963年・昭和38年)がスプラッター映画の第1号と言われている。1970年代に入ると『悪魔のいけにえ』(1974年・昭和49年・アメリカ)、『ゾンビ』(1978年・昭和53年・イタリア、アメリカ)などが製作され、大好評。『13日の金曜日』(1980年・昭和55年・アメリカ)、『エルム街の悪夢』(1984年・昭和55年・アメリカ)がシリーズ化されて大ブームとなる。日本で初めてのスプラッター映画は、『死霊の罠』(1988年・昭和63年)。

スラップスティックコメディ

観客を笑わせる喜劇映画の1ジャンル。叩いたり、追いかけ回したり、パイを投げたり、投げられたりといった身体を張って演技をし、笑いを取るコメディ映画。ドタバタ喜劇とも言うが、アドリブではなく、綿密な構成やしっかりとした打ち合わせ、稽古などの準備を必要とする。スラップスティックとは叩く「 スラップ」【slap】、棒「スティック」【stick】のことで、もともとはアメリカの道化師が2本の棒を打ち合わせて大きな音を出す道具、または、コメディで使われる先がふたつに割れた棒を指す。後者は日本で言うハリセンのようなもの。代表的な俳優はチャーリー・チャップリン、ロスコー・アーバックル、バスター・キートンなど。日本ではエノケン、古川ロッパ、大村崑(おおむらこん)、ハナ肇(はじめ)とクレージーキャッツ、ザ・ドリフターズなど。

製作委員会

製作委員会(セイサクイインカイ)

映画製作には、多額の費用が必要とされることから、ヒットすれば多額の利益を得ることができる一方で、客足がのびなかった場合、負債は大きくなる。そのため、負債のリスクを回避する目的で、複数の会社が出資してスポンサーとなり、ひとつの映画作品を製作すること。また、製作から興行までそれぞれの分野と関連する会社が出資することで、ヒットへ向けて互いに協力し合い、各社の得意分野を活かしたビジネスを展開できる。さらに、各スポンサーが映画宣伝に力を注ぐことによって興行を成功させる条件を揃えることができる。スポンサーは、民放テレビ局、映画会社、広告代理店、新聞社、芸能事務所、玩具メーカー、住宅メーカーなど業種も様々。主に、○○製作委員会と表記される他、○○プロジェクト、○○フィルムパートナーズと名乗ることもある(○○は映画のタイトル)。現在、日本映画の製作スタイルの主流になっている。

西部劇

ハリウッド映画のウェスタン【western】のこと。1860〜1890年代のアメリカの西部開拓時代に生きる人々や出来事を舞台にした映画を指す。1910年にジャンルとして確立された。日本における時代劇。主役はカウボーイやガンマンで、アクションを中心とし、インディアンを悪役として配置することで、善を勧めて悪を懲らしめる「勧善懲悪」を軸にしたフロンティアスピリットを描く武勇伝、英雄伝が多く作られた。しかし、派手な羽飾りを頭などに着けて馬にまたがり、アワワワワと声を上げて襲いかかってくるインディアンは、あくまでも製作サイドが作り上げた演出であって、実際とは異なるため、のちに問題となり、西部劇が衰退するひとつの原因ともなった。衰退した主な原因は、1960年代からテレビドラマとして西部劇が製作させるようになったため。スクリーンから少しずつ姿を消しつつあるが、現在もきちんとした時代背景で製作された作品が公開され続けている。

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